(1)ギターの下手なおじいちゃんと上手なおじいちゃん

週末カラリとした空気を抜けゆくいつもの店。心のあたりが軽い。いつもの単調な仕事から解放されて向かういつもの店。そこにはあの人達がいる。この空気と同じ香りのする心優しき音楽家たちが−。

ここはBrasilはSao Pauloにある楽器屋の奥の部屋。毎週末ギターやカヴァキーニやバンドリンを持ったおじいちゃんたちが集まる。この人達の目的は音楽を弾きながら、お話しながら、ビールを飲みながら、いつものこの場所で、平和な週末を過ごす事。もう何十年と弾いてきた曲。もう頭で考えなくても指がスルスルとネックを滑り、的確にフレットをとらえ、柔らかな音を奏でている。

ここの店ではブラジル音楽のインストゥメンタルが聞ける。「choro(ショーロ)」という。簡単にそうカテゴライズされるような音楽ではないのだけれど、今日はそんな堅い事は考えないで。Choroとはポルトガル語で「泣く」という意味。泣いているように聞こえるからという話も聞くけれど、私はメロディーが人間の話言葉のように聞こえる。表情豊かに喋ってるんだな、この音楽が。6、7人が中心に輪になって、演奏しているのだ。

私がこの部屋へまだびくびくしながら通っていた頃、同じようにちょっと自信なさげに通うおじいちゃんがいた。いつも後ろの方でギターをかかえながら、この音楽の輪に入れないでいる姿。上手な他の人の指遣いを熱心に見ては、自分のフレットを確かめている。音楽の輪をリードする上級のおじいちゃんのギターと違って、見るからに安そうなあまり良い音のしないギターで一生懸命弾いている。
いっつも隅っこの方で、一生懸命弾こうとしているおじいちゃん。ギターの上手なおじいちゃんたちは、それで食べているから身なりもギターもぴかぴかなのだっけれど、そのおじいちゃんはのら犬みたいに弱々しくて、びくびくしていた。でも、同じ音楽が好きで、いつもそこにやってくるのだ。

そんな彼がある週末からまったく来なくなった。次の週も、その次の週も来ない。そしてカーニヴァルが近付いてきたあるひどく熱い週末、いつものように私は楽器屋へ行ってみると、いつもの音楽の輪はなく、部屋の奥にぽつんと1人、一番ギターの上手なおじいちゃんがいた。彼から、あのギターの下手なびくびくしたおじいちゃんが逝った事を知らされる。いつもプライド高くまとまっているそのギターの上手なおじいちゃんが今にも泣き出しそうな顔をしている。いつもばかにしてからかう相手がいなくなっちゃったね。

寂しい週末なのに、ブラジルのカラリとした空気はもっともっと私達の皮膚をなぜて、泣かせてはくれない。

おじいちゃんたちはショーロを弾く。ギターがかわりに泣いてくれる。




文●ナグ
音楽が好きでブラジルへ逃亡。現在ブラジルで映画を撮る事を目標に、映像制作会社にて修行中。contactはnagura@syd.odn.ne.jpまで。

写真●楮佐古 晶章(かじさこ あきのり)
1963年、高知県生まれ.北海道大学農学部林学科卒業後、「インディオが俺を呼んでいる」と思いこみ、初めての海外旅行でペルー、ボリビア、ブラジル等を旅する。南米の虜となり、1990年、開発青年で渡伯。運良く永住ビザを取得し、そのままブラジルに定着。日本語の雑誌「Bumba」に勤務。現在、フリーのフォト・ルポライターとして活動中。

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Last Update : 2003/01/29