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ドラマのような、映画のような、ぼんやりとした淡い青春。


 打ち上げ花火は横から見ると丸いのか、平べったいのか...そんな素朴な疑問から少年らは実際に花火を横から見てみることになった。だが、水泳の勝負で勝った方の少年は、憧れの少女なずなと二人で花火を見に行くという約束をしていたのだが...。

 ドラマのような、映画のような、そんな作品。もっとも、もともとテレビドラマ「ifもしも」の1つとして制作された作品だけに、それは当然なものなのかもしれない。例えば、スローモーションで強調される動的シーンは、テレビドラマが得意として頻繁に使う手法というイメージがあるが、この映画の中でも上手い具合に岩井俊二はそれを利用している。そして、岩井俊二の象徴とも言える映像の美しさ、独特の色彩感覚は、「映画」を感じるものである。それは、フィルムを使って撮ったか、ビデオを使って撮ったかの違いではなく、何となく感覚として私たちが持っているイメージとしての映画という概念(それも昔見たような映画のイメージ)なのではないだろか。

 この作品を観て心洗われる思いがする、といえばあまりにも陳腐すぎるか。幼い、純粋な心を取り戻すといったら言い過ぎかもしれないが、少なくともこの映画の中にいる間は、そう思えるのだ。同姓の仲間に対する立場(ちょっとした見栄?)、異性を意識しだす照れくささ(小さな恋の始まり?)、それに加えて映し出される懐かしく美しい日本の田舎の風景。ぼんやりとした淡い青春の一コマを描く映画は数あれど、この作品の美しさに敵うものはそうそうないと思う。主演の奥菜恵が最高に美しく輝いている作品でもある。あぁ、こんなすばらしい作品をテレビでタダで見れたなんて...。 (コバシガワ*モトキ)

打ち上げ花火下から見るか?横から見るか?
監督:岩井俊二
出演:山崎裕太 、奥菜恵 、反田孝幸 、小橋賢児



Charaへの熱病は、どうやら相当のモノらしいことが、作品から強く伝わってくる。


 Charaは多くの人にとって理想の女性像だと思う。 彼女の持つ、母性的なあたたかさと、純粋な女のコ的な憎らしい可愛らしさ、そして子悪魔的なダークな部分の3つの要素。男性だけではなく、女性にも悩殺的なんじゃないかなぁ。 監督も彼女の魅力にとりつかれた一人らしい。Charaの為に書かれたというこの作品は、彼女のもつ3つの魅力が主人公のココを通して、これ以上は考えられないくらい最大限に引き出されていると思う。

 監督のCharaへの熱病は、どうやら相当のモノらしいことが、作品からは強く伝わってくる。 自分の死が世界の終わりだと信じているココ(Chara)が、聖書の黙示録に書かれている地球最期の日を信じているツムジ(浅野 忠信)に出合い、ツムジが地球滅亡の日と決めた7/10に地球の最期を見るためにサトル(橋爪 浩一)と3人で旅を始めるという話。 精神病院の塀の外にでる事を禁じられている三人の天使たちは、塀伝いに旅を続ける。 この作品の撮影中にCharaと浅野 忠信が付き合い始め、その雰囲気を察した監督が、もともと無かったキスシーンを加え、2人のラブストーリーに変更したというエピソードは有名。 監督の「カット!」という声があった後も、2人は永遠とキスを交わしていたらしい。 この話を聞いたあとにビデオを借りた僕は、ドキドキしながら映画を観ちゃいました。その後2人は結婚。Charaは一児の母になった今でも音楽活動を続け、浅野忠信は今や、日本を代表する俳優になっていますよね。 究極にリラックスした自然な空気が、映画全体を通して流れているのを、今でも鮮明に覚えています。

もちろん、監督の描きだす美しい映像と音楽は言うまでもないでしょ? 実は、上映された95年はオウム事件があって、オリジナルのラストシーンはあまりに衝撃的だったため、変更を余儀なくされたらしい。その他にも事件の影響でカットされたシーンが多々あるらしい、、、。「完全版」みたいなのでないかなぁ。 ☆りょおた

PiCNiC
製作:堀口壽一  監督・脚本:岩井俊二  撮影:篠田昇  音楽:REMEDIOS
出演:浅野忠信 、Chara 、橋爪こういち 、六平直政 、伊藤かずえ




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